がんばるって何?

2018.11.23 Friday

ネガティブな話は聞きたくない。
がんばってるねここちゃんの話が聞きたい。

がんばれ。 がんばる。 がんばってね。 がんばり屋さん。
あいつは頑張ってるじゃん。 私は頑張ってないのかな?

さいきん, “がんばる” って言葉が頭の中をずーっとぐるぐるしています。

気軽に使われる言葉で,私だってよく使う。
使う時はそこまで深く意味なんて考えて使わないのだろうけど,
やたらとこの言葉を聞く機会が増えて,
がんばるの意味がさっぱり分からなくなっています。

「頑張ってるね」 って言われても
「うん? 私,頑張ってるのか?」 って,頭には疑問符。


がんばるって,一体何?


私ががんばってる時っていつだろう。

思い返してみて,
人生の中で自分が確かに”がんばった”っていう感覚があるのは,
高校受験の時です。

「芸術系に強い,面白い高校だよ」って塾の先生に勧められて,
文化祭を見に行った神奈川総合高校。

他の高校の説明会や文化祭にも随分と足を運んだのだけれど,
神奈総だけは校内に入るアーチから,装飾から,ポスターから,音楽から,
何から何まで凝っていて「オーラが違う!」って感じだったのです。

文化祭以外にオープンスクールにも行ったのですが,
たまたまその日は”和装の日”で,浴衣を着て授業を受けている人たちがいて,それにもびっくり。

制服も校則も無い自由な校風で,
時間割もぜんぶ自分で作る,小さな大学みたいな高校。

説明してくれる先輩も,顔が生き生きしていて,この高校が好き!
っていう気持ちが伝わってきて,絶対この高校に行きたい!と思いました。


偏差値のわりに進学校ではなかったので,
母には「近いし前期試験の面接だけで受かるんだから」と横浜市立金沢高校を,父には「推薦で行けるしエスカレーターでMARCHに入れるんだから」と法政女子高校を勧められました。

私の当時の成績では受かるかどうか五分五分という感じで,
みんな安全牌を勧めたのだと思います。

でも,私が行きたいのは絶対に神奈川総合高校!

そう決めていたから,神奈総に行くために勉強を ”がんばった” 。


テストでいい点,いい成績をとるためにひたすら教科書とノートのまとめ。
模試で間違えた問題の見直し。
内申点を上げるために英検・漢検・数検。
面接でプラスになるかなぁなんて考えて,柄にもなく美術部部長に立候補。
前期試験は落ちてしまったけど,面接の想定質問の答えを考えて,
練習も一人で何度も何度もしました。
頭が良いわけでも,要領が良いタイプでもなかったから,
とにかく時間がかかりました。


それでもあの時がんばれたのは,
その高校に合格するっていう明確なゴールがあって,
それは努力すれば自分の能力の範囲内で叶えられそうな目標で,
何をどう頑張ればいいか,ある程度のやり方や道筋が見えていて,
その先に明るい未来が見える気がしていたから。


明るい未来。

神奈総に行きたかった理由は実はもう一つあって,
家から少し遠くて,同じ中学から受験する人が誰もいなかったからです。

私はお世辞にも可愛いとは言えない顔で,しかも地味で暗かったので,
小中学校ではずっとブスだと言われ続けて,
廊下ですれ違うと吐く真似をされるのが日常茶飯事でした。

学校が嫌いでした。
不器量で,何の取り柄も無い自分が嫌いでした。

そこから抜け出したかったんです。
誰も自分のことを知らない,新しい環境に行きたかった。
だから,母の勧める,家から近い市立金沢には行きたくありませんでした。

新しい環境なら,新しい自分になれるんじゃないか…
あんな高校なら,楽しく過ごせるんじゃないか…

がんばった先に,今とは違う未来が見える気がしていたの。


でも,今はどうだろう?


私,自分が何をしたいのか,よく分からない…。

ううん,ちがう気がする。

ふわっとしたやりたいこと自体は,ある。
だけどそのために何をしたらいいのか,分からないんです。

がんばるって,たぶん,何かの目標のためにやるべきことを
コツコツと積み上げていくことなんだろうって思っているけれど,
今の私には,明るい未来も,目指すべきゴールも見えないし,
終わりが見えないから,当然そのための道筋も見えなくて。


絵が描きたい?
でも,趣味でときどき描いて,私の絵を好きって言ってくれる人がいたら,
今はそれでいいんだ。
絵を描いて暮らせたらそれは凄いことだけど,そんな気概や才能がある?
そもそも私は本当に絵が描きたいのかな?
昔好きだったこと,褒めてもらえたことにしがみついて,
今も好きって思いたいだけなんじゃないのかな?

結婚したい?
好きな人とずっと一緒にいられたら,たぶん私は幸せだな。
でも,好きだった人はもう私の側にはいないし,
婚活するのも何だか違うし,どうしたらいいのかもうよく分からないや。

可愛いお洋服が着たい?
でも,1日,1秒ごとに私は歳をとっていて,
日が経つごとに可愛いお洋服は似合わなくなっていくんだよ。
ただ着るんじゃなくて可愛いお洋服が似合う自分になりたい私にとって,
これはどんどん難しくなっていくことだ。

やりたい仕事?
そもそも私のやりたい仕事ってなんだろう?
今の仕事はただ最低限のお金や安定が欲しくて始めただけだから,
お金が稼げればそれでいい。
夢は自分が通っていたアサバアートスクエアみたいな,お絵かき教室…
いや,別にお絵かき教室じゃなくても,カフェとか何でもいいんだけど,
みんながふらりと集まれるような,”居場所”みたいな場所を作ること。
でも,そのためにはお金も必要だし,どうやったらそんなことができるのか,皆目見当もつかない。



がんばらなきゃいけないらしい。

だけど一体何を? 何のために?

生きるためにやらなきゃいけないことをやって,
息抜きに楽しいことを探しながらただ生きるだけじゃダメなのかな?

そんなのは当たり前にみんなやっていることだから,
それじゃ認めてもらえないのかな。

認めるって,そもそも私は一体誰に認めてほしいんだ?

がんばらなくちゃいけないって思ってるのは自分自身?
だけどがんばってないから,自分で自分を認めてあげられないのかな。


幸せとか,夢とか,目指すゴールに実体がなくて,
だから具体的にどんなことをがんばればいいのかよく分からなくて。

でも,がんばってないとダメで。


毎日,毎日,
分からなくて苦しいまま死に近づいていって,
自分で自分を追い詰めているみたいなんだ。

ひさしぶりに日記を書きます。

2018.10.30 Tuesday

前回の日記からもう一年以上経っていました。
ひさしぶりに日記を書きます。

まず,変わったこと。

今までずっと私はフリーターでしたが,
11月の中旬から就職をすることになりました。

みんなにおめでとうって言われます。
両親も安心したみたいです。
でも,私にはこれがおめでたいことなのかどうかよく分かりません。
自分がやりたいことをやるわけでも,なりたかった大人になったわけでもないから。

私が就職活動をしたのは,
フリーターって言うだけでなんとなく馬鹿にされている気がして,
今の環境から逃げ出したかったから。

このくらいの年齢になると,みんな社会人として仕事をして,
仕事にもある程度慣れて,人によっては結婚して,子どもがいる人もいる。

アルバイト先の居心地は良かったけれど,
仲の良かった人たちもどんどん辞めてしまうし。

自分だけ波から取り残されて,置いていかれている気がして怖かった。


私には何もありませんでした。

子どもの頃は大好きだった,絵を描くこと。本を読むこと。
臨床心理士の資格をとるための勉強。
集中力が続かなくって,中途半端でやめてしまいました。

大好きだった人とも別れました。
社会的な地位もありません。

そんな状況が怖くて仕方なかったんです。


アルバイト先の児童発達支援教室で,
「先生の将来の夢は何だった?」
って,中学生の女の子に聞かれました。

「小さい頃は,絵本作家になりたかったな」
私はそう答えました。

そっか,私って昔は絵本作家になりたかったんだ。
答えながら,自分でも忘れていたことを思い出しました。


「なれば良いじゃないですか!」
女の子はそう言いました。
今更そんなの無理だよって,私は諦めていました。


自分の夢って一体何だったんだろう?
ひとつひとつ,やりたかったことを思い返してみます。

好きな人のために毎日ごはんを作って,
笑い合いながら一緒に食べたかったな。

絵を描き続けたかったな。
もっと心理学の勉強,続けたかったな。

それから,やっぱり,
可愛いお洋服を着て,可愛いお家に住みたかったな。

そういえば,生け花をやってみたいって思ってたな。

誰かが辛い時に,ふらっと来られてぜんぶ受け止めてあげられるような,
居場所を作ってあげたかったな。


考えれば考えるほど,
自分がやりたかったことって,なんだか全部ふわっとしていて,
地に足がついていないものばかり。

具体的なビジョンとか,仕事や生活に結びつくものとか,
そういうものが抜け落ちているみたい。


多分,私の中で仕事ってすごく優先順位が低くて,
やりたいことをやるためにやっぱりお金が必要だから,
やらなくちゃいけないこと。
どうしても合わなければ辞めて他を探せば良いこと。

昇進しようとか稼いでやろうとかそんな気概は無いし,
それくらいの認識しか無いんだと思います。

やりたいことが仕事にできたら,もちろんそれが一番良いのだろうけど。


だから,なんで正社員にならなきゃいけないの?って聞いた時に
社会保険が… ボーナスが… 安定が… って言われてもピンと来ないし,
志望動機を書いても本心じゃないから何だか薄っぺらいし,
就職おめでとうって言われても,
でも,私にとってそれってそんなに重要なことじゃないんだけどな…
なんて捻くれたことをふと考えてしまうんです。

やりたいことが出来ない時,仕事をしてお金をもらって,
どんな意味があるんだろう?

生きるため? 何のために生きるの?

ただただ生きてて何か良いことってあるの?
辛いことの方が多いなら死ねばいいんじゃない?


そんな子どもの屁理屈みたいな疑問が,
何度も何度も頭をよぎるんです。

へとへとになるまで働いて,そんなことを考える時間すら無くなれば,
そういう考えも浮かばなくなるのかな。


ひさしぶりの日記で,決して悪い話題でも無いはずなのに,
なんだかネガティブな日記になってしまいました。


でも,私はそれなりに,生きています。

カウンセリングルーム。

2017.06.24 Saturday

いつも思うのだけれど,
カウンセリングルームってなんだか近寄り難くないですか?

学校のカウンセリングルームって,
普段使う教室とは離れた階にあって,
廊下の奥の向こう側にあって,扉で固く閉ざされていて,
そもそも行くのに予約が必要だったりして,入りにくいなぁって…。

辛くなった時,
もっと気軽にふらっと足を運べて,
そこは友だちも知らない私だけの秘密の場所で,
自分の話を真剣に聴いてくれて,自分を理解してくれる人がいる……
そういう場所があればいいのになって,
子どもの頃,私は時々そんなことを考えていました。

*    *    *

私がはじめて学校のカウンセリングルームに足を運んだのは,中学生の時。

私がカウンセリングを受けるために行ったのではなく,
友だちに連れられて一緒に行った形でした。

1年生の時に「絵 上手だね」って,
その子が声をかけてくれて仲良くなったのだけれど,
彼女は,嫌な言い方をすれば いわゆる “問題児” という感じで,
しょっちゅう学校をサボったり,授業中に突然飛び出していったり,
先生にも反抗的な女の子でした。

でも,私は彼女のことが少し羨ましかったんだ。

私は昔から人見知りで,ボーッとしていて,友だちをつくるのが苦手で,
教室の隅で絵を描いたり本を読んだりして,
自分の世界に閉じ籠るばかりの子どもだったから。

みんなの前で自分の意見なんて言えなかったし,
先生の言うことは理不尽だと思っても従っていたし,
学校に行きたくなくてもサボることなんてできなかった。

それに対して彼女は,
頭の回転が速くて話は面白いし,口がよく回って,良くも悪くも行動力があった。
他の中学校に彼氏がいて,しょっちゅう彼氏の話をする彼女は,
私から見るとなんだか大人に見えたのです。

そんな彼女は,
よく保健室やカウンセリングルームにも1人で行っていたようで,
保健室の先生やカウンセラーさんと仲が良かったみたい。

そしてある日の放課後,
一緒にカウンセリングルームに行こうと誘われて,
はじめて私もそこへ足を運ぶことになるのです。

カウンセリングルームがあることは知っていたけれど,
入ったのは初めてで,「学校にこんな場所があったんだ」 って,
私にとっては驚きでした。

もうぼんやりとした記憶しかないけれど,
部屋は全体的に淡い暖色で,光が差し込んでいて,床にはタイルのマット。
パズルやジェンガ,スケッチブックにクレヨン,
遊ぶためのものが一通り揃っていて,一緒にお絵かきしたのを憶えています。

カウンセラーの先生はふんわり,ニコニコした,優しげな先生で,
なんだかとても居心地が良かったなぁ。

だけど本当に隔離された場所にあったので,
ひとりで足を運ぶことはできなくて,行ったのはその1回きり。

あの子がいなかったら,
中学生の私がカウンセリングルームに足を踏み入れることは
きっと無かっただろうなぁ。

*    *    *

次にカウンセリングルームへ行くことになったのは,高校生の時。

嫌いだった中学校はサボることなんてできなくて,
皆勤賞をとる年すらあったのに,
どういうわけか,必死に勉強して入った憧れの高校で,
私は “サボり” を身につけました。

制服も校則もない自由な学校で,大学みたいに自由に時間割が組めて,
みんな頭が良くて,中学校の時にあった下らないイジメなんて存在しない。

高校のほうが中学なんかよりずっとずっと居心地が良くて,
入学当初は学校が楽しくて楽しくて仕方なかったのに,
なぜかだんだん学校に足が向かなくなってしまって。

ひとりでボーっと電車に揺られて何往復もしたり,
海に行ったり,カラオケに行ったり,みなとみらいをふらふら歩いたり。

担任の先生から,私が学校を休みがちだと聞かされた母は,
ひどく驚いて,「なんでこんな風になってしまったん…?」 と泣いていました。

そしてカウンセリングを受けさせられることになったのだけれど,
中学のカウンセリングルームと違って,
高校のカウンセリングルームは,なんだか真っ白なイメージだった。

もしかしたら私の記憶が間違っていて,実際は違ったのかもしれないけれど,
真っ白な部屋の中に真っ白なテーブルがあって,
カウンセラーの先生は,穏やかだけれどなんだか無表情で…。

SCT(文章完成法)の心理検査を受けさせられたものの,
緊張してちっとも筆が進まず,持って帰って書いてきてもいいよと言われて
SCTの紙を持ち帰り,それっきりカウンセリングルームには行きませんでした。

この頃は,
カウンセラーの先生よりも,担任の先生のほうがよっぽど話しやすかったな。

少し捻くれた感じの風変わりな先生で,
高校の裏の公園で,タバコを吸いながら遠くを見て,色んな話をしてくれた。

その先生は,私が大学生の頃に定年退職をされて,
送別会でお会いしたのが最後。

その後も高校で非常勤として勤めていると言っていたけれど,
今はどうしているんだろう。 また会いたいなぁ。

*    *    *

3度目にカウンセリングルームにお世話になったのは,
大学に入ってから。

高校を休みがちで,担任の先生から 「大学も行けなくなるんじゃ…」 って
心配されていた私は,案の定,大学も1年生の夏頃でドロップアウトしました。

ミッション系の大学だったので,
はじめの頃は 朝 早起きして自主的に礼拝をしていたし,
自炊なんかも頑張ったんだけどな…。

ぜんぜん周りに馴染めなくて,何もかもが虚しくて。
同じ大学の女の子たちが,朝,群れになって坂を上がっていくのを見ると,
心がザワザワして怖くなって,踵を返して家に逆戻り。

ひとり暮らしになったので,実家と違って,
無理にでも学校に行かせようとする母の存在も無い。

もはや完全に家から出られなくなって,
ベッドに横たわって天井ばかり見つめて,死ぬことばかり考えていました。

夜が更けて,誰にも会わないだろうっていう時間帯になってから,
近くのコンビニまで行って僅かな食べ物を買って,
夜の空気を吸いながら,近くを少しお散歩して家に戻る。
1年生の後期はそんな生活でした。

このままじゃまずい。何かやらなくちゃ。

そうは想うものの大学には足が向かなくて,
ベッドで寝ているよりはいいだろうって,家で必死に油絵を描いていました。

窓も開けずに絵を描いていたから,
家の中は油絵の具の匂いが充満していてクラクラした。

教授から何度も電話がかかってきたけどとても出られなかった。

お陰で,1年生の時に取れた単位はたったの6単位。

教授は途中で電話を諦めて,メールで連絡をとってくれるようになりました。
私は元々電話が苦手だったから,メールなら返信ができた。

教授とも相談して,2年生の前期は休学して,
後期からようやく細々と学校に通えるようになりました。

そして春。
大学の健康診断で「死にたいと思う」だの
「自分は必要とされていない人間だと思う」だのの項目に
馬鹿正直に丸をつけていたら,カウンセリングを勧められて,
ここで3度目のカウンセリングルーム。

大学のカウンセリングルームはきっちり予約制で,
普通に講義を詰め込んだらカウンセリングなんてそうそう受けられないだろって
突っ込みたくなるような時間設定でした。

カウンセラーの先生は数人いて,
私が会ったのは,40代くらいの,髪の長い,穏やかな女の先生。

うつ病のチェックと,困り感チェック(恐らく発達障害のチェック)をやらされて,
うつ病のラインに入っているから病院で診察を受けた方が良いと言われました。

私からすれば,このチェックリストに全然チェックがつかない人って
一体どんなにポジティブで自信満々な人なんだろうって不思議だったけれど…。


中学・高校のカウンセリングルームは一度きりでお終いでしたが,
大学では何度か回数を重ねて通いました。

だけど… うーん。
やっぱり,自分のことを話すのってなかなか難しい。

「小中学生の時に男子からずっとブス,顔がキモイって言われていたから今でも自分の顔が嫌い。他人からどう思われているか気になる」
「人と話すのが苦手。何を喋っていいか分からない」
そういうことをぽつぽつ話した記憶があるのだけれど,

「そんなことないよ。全然ブスなんてことないし服も似合ってるよ?」
「ちゃんと相手に気を遣って話せてるしおかしな感じもしないよ?」
そういう風に言われたなぁ…。

週1で同じ曜日の同じ時間に通っていたのだけれど,
夏休みや冬休みに入ると大学の相談室もお休みになってしまい,
次の学期が始まる時に,またあらためて予約を取り直さなきゃいけない。

それが億劫で,ここもまた,
中途半端なところで通うのをやめてしまいました。

*    *    *

…私にとってのカウンセリングルームって,そんな感じで。


カウンセリングを受けて良くなるとかいう以前に,
そこに行くこと自体が,すごくハードルが高いなぁって思う。


似たようなことをつい最近友人とお話したのだけれど,
臆せずにカウンセリングルームに行けるような人は,
あまりカウンセリングが必要な状態にならないだろうねって。

人と話すことや,学校に行くこと自体が怖い時に,
自らカウンセリングの予約の手続きをして,重い扉を開けて,
自分の心の内を見知らぬ人にペラペラ話すことができるのかなぁ。

私が利用したのは学校の中の相談室ばかりだけれど,
病院や,個人のカウンセリングルームとなると,
もっともっとハードルは上がるんじゃないかと思う。


カウンセリングに時間や空間の「枠」が必要なのは分かっているから,
それとはまた別の,うまく言えないけれど,
心が疲れてどうしようもない時にふっと入れる居場所,逃げ場,
そういうものを私は作ってみたくて。


たぶん,本当は私が救いたいのは過去の自分自身なんだけれど,
過去には戻れない以上 それはどんなに頑張っても無理だから,
せめて,自分が誰かにとって,そういう居場所になれたらいいのにな… って。


根本的な解決にはならないかもしれないけれど,
ひとまず応急処置。


夜中にぼんやりそんなことを考えつつ,おやすみなさい。

一年があっという間。

2017.01.03 Tuesday

気がついたら年が明けていました*>_<*

4月からブログ放ったらかしだったよ。びっくり。

1日1日が瞬きの間に過ぎて,
気づいたらおばあちゃんになっていそうで本当に怖い。

*    *    *

名古屋での長い長い5年間を終えて,横浜の実家に戻ってきて。

とりあえずはお金を稼ぐ手段を確保しなくちゃ… と思って,
4月からみなとみらいのジェラート屋さんでアルバイトを始めました。

私ほんとに物覚え悪いしトロいし気が利かないので,
少しでもやったことがあることの方が早く馴染めそうだし,
周りにも迷惑かけないし自分自身も負担が軽いんじゃないかな?
と思ったのと。

みなとみらいの雰囲気が大好きで,
歩くだけでもちょっぴりきらきらした気分になれるから,
みなとみらい周辺で働きたいな…と思ったのと。

そんな理由で選びました。

店長さんもフレンドリーだったし,みんな良い人ばっかりで,
ここにしてよかった(;_;)

お酒弱い上に,大学の時はひきこもって休学してたから,
飲み会とかほぼ行ったこと無くて,飲み会の多さにびびったけど….笑

*    *    *

それとはまた別に,
10月頃から児童発達支援教室でも働き始めました。

学習障害や発達障害のある子向けの教室の非常勤の先生。

私の夢はカウンセラーになることで,
だけど実際に子どもと接したことってほとんど無かったので,
少しでも子どもと関わる仕事ができたらいいなぁと思って…。


私はもともとそんなに「子ども大好き!」ってタイプではなくて,
高校生の時くらいまでは,小さい子を見ると羨ましかったんですよね。

どんな小さな発見にも驚いて,喜んで,悲しんで…。
大人になるにつれてどんどん枯れていく,瑞々しい感性が羨ましかった。

男女の関係とか性欲とかそんなの抜きで,
親からの無償の愛情を受け取れるのが羨ましかった。

私も小さい子に戻りたい… と思っていました。


でも,大学で発達心理学の講義を受けた辺りからかなぁ。

子どもを産んで育てること,子どもの成長・発達についての知識が入ってきて,少し実感が持てるようになったせいか,「私もいつかは子どもが欲しいなぁ」と自然に想えるようになったの。

小さい子を見ても羨ましいとは思わなくなったし,
親子の物語を読む時に,
今までは子ども側にしか感情移入できなかったのに,
親からの目線も少し分かるような気がしてきた。

もちろん,本当に子を持つ親からしてみれば,
「子どもを育てたことも無いくせに何言ってるんだ」
と思われるかもしれないけれど。。


未知のことばかりでどうすればいいのかよく分からないのだけど,
私なりに頑張ろうと思う。

*    *    *

もう年が明けてしまってから2016年の振り返りというのもなんだけど,
2016年はいろんな出逢いがあった年だなぁと思っています。

前述した2つの場所で出逢った人たちはもちろんのこと,
恒例の(?)インターネットで知り合った人との出逢いも,ね。


3月,
名古屋から横浜に戻る少し前に,用事があって大阪に行きました。

その時に会ったのがともちゃん(*´ω`*)

高校生の時に某SNSで知り合って,Skypeとかお手紙とか…。
ずーっと仲良くしてくれてたお兄ちゃんです(´・ω・`)

お互い住所は知ってたので,
顔も見たことないのにお誕生日に毎年プレゼントをくれていて,
誕生日ぼっち余裕の友だちいないねここさんにはとても救いでした。笑

そして去年の3月にはじめて会ったのだけど,
ほんとにそのまま,優しいお兄ちゃんだった。

写真を撮ろうとしていた通りすがりの家族連れに,
わざわざ声を掛けて写真を撮ってあげていたのが印象的だった。

なんかもう,良い人すぎて悪い人に騙されたりしないか心配です…。


それから4月。

AAAギャラリーの桜展を見に行って,
仲山拓人さんにお会いしました(*´ω`*)
優しい色使いの絵を描かれる画家さんです。

Pixivで拓人さんが私の絵を気に入って下さってメッセージをくれたことで知り合って,4月にはじめて拓人さんの出展されている展覧会を見に行った形です…!

和服に帽子がとってもお似合いで,なんだか昔の詩人か文豪みたいな,
過去からタイムスリップしてきたみたいな素朴な雰囲気の方。
個性的なのに違和感が一切ない。笑

すごく柔和で温かい空気を纏っていて,既に拓人さんファンです…*

12月にも銀座のギャラリーでグループ展をされていたので,
去年は合わせて2回,お会いしました*

銀座のギャラリーに伺った時は,ちょうど画家さん同士の交流パーティーがあったので,私もこそっと参加させて頂いたんですが,なんと…!*>Д<
拓人さんと一緒のグループ展に作品を出していた方のひとりが,まさかの高校の同級生でした\^○^/

高校でほぼ話したことがなかったからはじめは気づかなかったのだけれど,
(なんか見覚えがあるんだよなぁ…) と思って,帰って高校の卒アルを引っ張り出してきてみたら,ちゃんといました。笑
世間は狭い…!!


そしてもうひとり。
12月にはじめて一緒に遊んだのが,けーちゃんです(*・ω・*)/

知り合ったのは私が中学生の頃。
2ちゃんねるの,人見知りでもメル友欲しいスレです\^○^/笑

SNSで知り合う友だちはいても,
2chで知り合ったのはけーちゃんくらい/^○^\
もう10年くらいになるので,私のネット友だちの中でも相当長い!!

はじめて遊ぶことになって,
茨城からわざわざ横浜まで来てくれました…… ありがたや(>人<*)

はるか昔に1度だけ電話したことがあって,
その時私が終始無言っていうコミュ障っぷりを見せつけてしまったので。笑
会話が続くか不安…! ってなってましたが,実際会ってみたらすごく話しやすかった(´□`*)

私のコミュ障もたぶん中学生の時に比べるとマシになったんだと思う。
自分でそう思う。
昔は電話苦手すぎて美容院の予約の電話とかお母さんにかけてもらってたからね!!!1

歌も上手で,曲のレパートリーも広くて,けーちゃんとカラオケ超楽しかった(*^ω^)

*    *    *

ふふ。
なんだか止まらなくなりそうなので,去年の振り返りはこのくらいで。


2017年もたぶんひっそり生きているので,
どうぞよろしくお願いいたします。*