カウンセリングルーム。

2017.06.24 Saturday

いつも思うのだけれど,
カウンセリングルームってなんだか近寄り難くないですか?

学校のカウンセリングルームって,
普段使う教室とは離れた階にあって,
廊下の奥の向こう側にあって,扉で固く閉ざされていて,
そもそも行くのに予約が必要だったりして,入りにくいなぁって…。

辛くなった時,
もっと気軽にふらっと足を運べて,
そこは友だちも知らない私だけの秘密の場所で,
自分の話を真剣に聴いてくれて,自分を理解してくれる人がいる……
そういう場所があればいいのになって,
子どもの頃,私は時々そんなことを考えていました。

*    *    *

私がはじめて学校のカウンセリングルームに足を運んだのは,中学生の時。

私がカウンセリングを受けるために行ったのではなく,
友だちに連れられて一緒に行った形でした。

1年生の時に「絵 上手だね」って,
その子が声をかけてくれて仲良くなったのだけれど,
彼女は,嫌な言い方をすれば いわゆる “問題児” という感じで,
しょっちゅう学校をサボったり,授業中に突然飛び出していったり,
先生にも反抗的な女の子でした。

でも,私は彼女のことが少し羨ましかったんだ。

私は昔から人見知りで,ボーッとしていて,友だちをつくるのが苦手で,
教室の隅で絵を描いたり本を読んだりして,
自分の世界に閉じ籠るばかりの子どもだったから。

みんなの前で自分の意見なんて言えなかったし,
先生の言うことは理不尽だと思っても従っていたし,
学校に行きたくなくてもサボることなんてできなかった。

それに対して彼女は,
頭の回転が速くて話は面白いし,口がよく回って,良くも悪くも行動力があった。
他の中学校に彼氏がいて,しょっちゅう彼氏の話をする彼女は,
私から見るとなんだか大人に見えたのです。

そんな彼女は,
よく保健室やカウンセリングルームにも1人で行っていたようで,
保健室の先生やカウンセラーさんと仲が良かったみたい。

そしてある日の放課後,
一緒にカウンセリングルームに行こうと誘われて,
はじめて私もそこへ足を運ぶことになるのです。

カウンセリングルームがあることは知っていたけれど,
入ったのは初めてで,「学校にこんな場所があったんだ」 って,
私にとっては驚きでした。

もうぼんやりとした記憶しかないけれど,
部屋は全体的に淡い暖色で,光が差し込んでいて,床にはタイルのマット。
パズルやジェンガ,スケッチブックにクレヨン,
遊ぶためのものが一通り揃っていて,一緒にお絵かきしたのを憶えています。

カウンセラーの先生はふんわり,ニコニコした,優しげな先生で,
なんだかとても居心地が良かったなぁ。

だけど本当に隔離された場所にあったので,
ひとりで足を運ぶことはできなくて,行ったのはその1回きり。

あの子がいなかったら,
中学生の私がカウンセリングルームに足を踏み入れることは
きっと無かっただろうなぁ。

*    *    *

次にカウンセリングルームへ行くことになったのは,高校生の時。

嫌いだった中学校はサボることなんてできなくて,
皆勤賞をとる年すらあったのに,
どういうわけか,必死に勉強して入った憧れの高校で,
私は “サボり” を身につけました。

制服も校則もない自由な学校で,大学みたいに自由に時間割が組めて,
みんな頭が良くて,中学校の時にあった下らないイジメなんて存在しない。

高校のほうが中学なんかよりずっとずっと居心地が良くて,
入学当初は学校が楽しくて楽しくて仕方なかったのに,
なぜかだんだん学校に足が向かなくなってしまって。

ひとりでボーっと電車に揺られて何往復もしたり,
海に行ったり,カラオケに行ったり,みなとみらいをふらふら歩いたり。

担任の先生から,私が学校を休みがちだと聞かされた母は,
ひどく驚いて,「なんでこんな風になってしまったん…?」 と泣いていました。

そしてカウンセリングを受けさせられることになったのだけれど,
中学のカウンセリングルームと違って,
高校のカウンセリングルームは,なんだか真っ白なイメージだった。

もしかしたら私の記憶が間違っていて,実際は違ったのかもしれないけれど,
真っ白な部屋の中に真っ白なテーブルがあって,
カウンセラーの先生は,穏やかだけれどなんだか無表情で…。

SCT(文章完成法)の心理検査を受けさせられたものの,
緊張してちっとも筆が進まず,持って帰って書いてきてもいいよと言われて
SCTの紙を持ち帰り,それっきりカウンセリングルームには行きませんでした。

この頃は,
カウンセラーの先生よりも,担任の先生のほうがよっぽど話しやすかったな。

少し捻くれた感じの風変わりな先生で,
高校の裏の公園で,タバコを吸いながら遠くを見て,色んな話をしてくれた。

その先生は,私が大学生の頃に定年退職をされて,
送別会でお会いしたのが最後。

その後も高校で非常勤として勤めていると言っていたけれど,
今はどうしているんだろう。 また会いたいなぁ。

*    *    *

3度目にカウンセリングルームにお世話になったのは,
大学に入ってから。

高校を休みがちで,担任の先生から 「大学も行けなくなるんじゃ…」 って
心配されていた私は,案の定,大学も1年生の夏頃でドロップアウトしました。

ミッション系の大学だったので,
はじめの頃は 朝 早起きして自主的に礼拝をしていたし,
自炊なんかも頑張ったんだけどな…。

ぜんぜん周りに馴染めなくて,何もかもが虚しくて。
同じ大学の女の子たちが,朝,群れになって坂を上がっていくのを見ると,
心がザワザワして怖くなって,踵を返して家に逆戻り。

ひとり暮らしになったので,実家と違って,
無理にでも学校に行かせようとする母の存在も無い。

もはや完全に家から出られなくなって,
ベッドに横たわって天井ばかり見つめて,死ぬことばかり考えていました。

夜が更けて,誰にも会わないだろうっていう時間帯になってから,
近くのコンビニまで行って僅かな食べ物を買って,
夜の空気を吸いながら,近くを少しお散歩して家に戻る。
1年生の後期はそんな生活でした。

このままじゃまずい。何かやらなくちゃ。

そうは想うものの大学には足が向かなくて,
ベッドで寝ているよりはいいだろうって,家で必死に油絵を描いていました。

窓も開けずに絵を描いていたから,
家の中は油絵の具の匂いが充満していてクラクラした。

教授から何度も電話がかかってきたけどとても出られなかった。

お陰で,1年生の時に取れた単位はたったの6単位。

教授は途中で電話を諦めて,メールで連絡をとってくれるようになりました。
私は元々電話が苦手だったから,メールなら返信ができた。

教授とも相談して,2年生の前期は休学して,
後期からようやく細々と学校に通えるようになりました。

そして春。
大学の健康診断で「死にたいと思う」だの
「自分は必要とされていない人間だと思う」だのの項目に
馬鹿正直に丸をつけていたら,カウンセリングを勧められて,
ここで3度目のカウンセリングルーム。

大学のカウンセリングルームはきっちり予約制で,
普通に講義を詰め込んだらカウンセリングなんてそうそう受けられないだろって
突っ込みたくなるような時間設定でした。

カウンセラーの先生は数人いて,
私が会ったのは,40代くらいの,髪の長い,穏やかな女の先生。

うつ病のチェックと,困り感チェック(恐らく発達障害のチェック)をやらされて,
うつ病のラインに入っているから病院で診察を受けた方が良いと言われました。

私からすれば,このチェックリストに全然チェックがつかない人って
一体どんなにポジティブで自信満々な人なんだろうって不思議だったけれど…。


中学・高校のカウンセリングルームは一度きりでお終いでしたが,
大学では何度か回数を重ねて通いました。

だけど… うーん。
やっぱり,自分のことを話すのってなかなか難しい。

「小中学生の時に男子からずっとブス,顔がキモイって言われていたから今でも自分の顔が嫌い。他人からどう思われているか気になる」
「人と話すのが苦手。何を喋っていいか分からない」
そういうことをぽつぽつ話した記憶があるのだけれど,

「そんなことないよ。全然ブスなんてことないし服も似合ってるよ?」
「ちゃんと相手に気を遣って話せてるしおかしな感じもしないよ?」
そういう風に言われたなぁ…。

週1で同じ曜日の同じ時間に通っていたのだけれど,
夏休みや冬休みに入ると大学の相談室もお休みになってしまい,
次の学期が始まる時に,またあらためて予約を取り直さなきゃいけない。

それが億劫で,ここもまた,
中途半端なところで通うのをやめてしまいました。

*    *    *

…私にとってのカウンセリングルームって,そんな感じで。


カウンセリングを受けて良くなるとかいう以前に,
そこに行くこと自体が,すごくハードルが高いなぁって思う。


似たようなことをつい最近友人とお話したのだけれど,
臆せずにカウンセリングルームに行けるような人は,
あまりカウンセリングが必要な状態にならないだろうねって。

人と話すことや,学校に行くこと自体が怖い時に,
自らカウンセリングの予約の手続きをして,重い扉を開けて,
自分の心の内を見知らぬ人にペラペラ話すことができるのかなぁ。

私が利用したのは学校の中の相談室ばかりだけれど,
病院や,個人のカウンセリングルームとなると,
もっともっとハードルは上がるんじゃないかと思う。


カウンセリングに時間や空間の「枠」が必要なのは分かっているから,
それとはまた別の,うまく言えないけれど,
心が疲れてどうしようもない時にふっと入れる居場所,逃げ場,
そういうものを私は作ってみたくて。


たぶん,本当は私が救いたいのは過去の自分自身なんだけれど,
過去には戻れない以上 それはどんなに頑張っても無理だから,
せめて,自分が誰かにとって,そういう居場所になれたらいいのにな… って。


根本的な解決にはならないかもしれないけれど,
ひとまず応急処置。


夜中にぼんやりそんなことを考えつつ,おやすみなさい。

Comment

  1. より:

    僕は中学時代半分くらい不登校やったから何度かそういう部屋(僕の学校では心の相談室って名称)に強制連行されてお世話になったことあるけど
    あれ、「行って誰かに相談しよう」ってだけの熱量残ってる人なら効果あるかもしれんけど
    そんな気力すら残ってない人には無理な話よね(´ω`)
    まして見知らぬ場所見知らぬ人と面と向かって「さぁ、あなたの話をしてください」なんて言われても…拷問ですか、と。
    あぁいう「何かしらの問題を解決するための場所」ってのももちろん必要なんだけど
    そうじゃなくって「ただここに存在してるだけで受容してくれる空間」ってのが必要なのかもねー

  2. より:

    中学だったかな?カウンセリングに言って、挨拶以外は一言も発しないで、心理テストみたいのも白紙で出したなぁ。

    優しさは、同時に厳しさを伴うよ。
    嫌な部分に、お互いに必死で向き合わないとね。
    逃げたりごまかしたりなんて、論外。
    僕は児童文学(主に灰谷健次郎さんと今江祥智さんの作品)を自分に向き合うための材料にしているよ。

    やりたいことがあるのなら、貪欲にかなえにいかなくちゃね。

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