2013.06.13 Thursday
塾の帰り道だろうか。
小さな身体に似合わない 大きな鞄を背負って,
子どもたちが夜道を歩いていく。
街灯に照らされた無邪気な笑顔が目に映る。
私は哀しくなる。
もう自分はあの頃には戻れないんだと思うと,
どうしようもなく,虚ろな気持ちが私を包み込む。
私はあの歳の頃,何を想って生きていたんだろうか。
今はもう,思い出せない。
* * *
私の憧れは,小さい頃から, 『小公女』 のセーラだった。
今でも,ずっと。
いつだって気品と優しさと想像力を忘れない,
セーラみたいな女の子になりたかった。
でも,今の私は,
とっくにセーラの年齢なんて追い越してしまった。
私は一体,何を目標に生きればいいんだろう。
女の子から女性へ,変わらなければならない時なのに,
私の憧れは,いつまで経っても女の子なんだ。
* * *
ラムネ瓶の中の,きらきらしたビー玉が欲しくって,
それだけのことに夢中になれた頃。
お風呂に浸かって水面を見ると,ゆらゆら伸びた,自分の手足。
魔法みたいに見えた頃。
使える言葉も,使えるお金も,行ける場所だって,たくさん,たくさん。
子どもの頃よりずうっとたくさん,あるはずなのに。
あの頃は無限に広がって見えた世界が, 今ではとっても, 狭くて苦しい。
Comment
その気持ちとってもわかります。私もずっと少女のままでいたいけれど、時間は待ってはくれない。おとぎ話の女の子に憧れるけれど、歳を重ねていくに連れ、それはイタイという言葉で夢を見ることさえ出来なくなる。この先どうなってしまうのだろうと考えても仕方のないことなのに不安になる…
きのこちゃん>
そうだよね(>_<*)
時間は待ってくれない。。
おとぎ話の女の子に憧れていても,現実の自分はおかまいなしに歳をとっていって,どんどん憧れから離れていく…。
時間を止めることはできないから,不安(´・ω・`)
そうだね。大人になると、世界が狭い。
くだらないしがらみも増えて、うっとうしい。
でも、だから俺は、現実の世界に、
自分の生きている世界に、子供の頃見ていた世界を作り上げることにした。
俺は絵をうまく書けないけど、
何年もかけて、綺麗な森を作ったり、
自分の家を作り変えたりすることはできる。
絵を書けたら、自分の家の壁に、
ドーーーンと絵をかけるのにな~って思う。
今は色漆喰とかも売ってるし、顔料を混ぜて、
自分の好きな色の漆喰を作ることもできる。
どうせ、何年かしたら塗りなおしだし。
石や陶器の割れたのとかを集めて、色をつけて、
そんなので、土間に絵を書いてみたり。
タイルやレンガの変わりに、そんなのを使って、
家具を飾ったり、暖炉を作ったり。。。
「自分で作る」ということには、
「自己責任」という以外のルールはない。
自分で家を建てて、倒壊しても自己責任。
だから、一生懸命調べて、考えて、作る。
シビアな反面、夢はどこまでも広がっていく。
「できない」と思ったら、そこで終わりだけど、
「やりたい!」と強く願い、「どうしたらいい?」
と、真剣に考え出したら、限界なんて、なくなる。
セーラが目標だったなら、大人になったセーラを想像してみてはどうだろう?
あの子が大人になったら、それは素敵なレディーだろうね。
あと、本は、憧れるためだけでなく、
仮想体験をするものだと思うよ。
そうすることで、本の中の教えや体験を、自分の中に刻み込んでいく。
今、家購入の手続き中なんだけど、
8月には改修工事開始するから、遊びにおいで~。
(遊びに、というか、手伝い?(笑))
それこそ、「お化け屋敷」だけど、森も川もあって、色んなことを好きにやれる所だよ。
金もない
行動範囲も狭い
限られた交友範囲でしか友達が作れない
なのに
少なからず世界が広がった今よりは幸せだった気がする。
なーんで世界は広がってるのに僕という人間は縮小してるんだろ?苦笑
大人になりなさい、って大人は言うけれど
なんで大人にならなきゃならないのかは誰も教えてくれない。
だったら
大人になる意味を探す為に大人になってみる、とか。
「小公女セーラ」のセーラは女の子のままだけど
必ず彼女も齢をとり大人の女性になる日が来る。
だとしたら
彼女はどんな大人になっているだろうか?
子供の頃は知りもしなかった世界を見聞きして、どう感じどう思うだろう?
そんなコトを想像してみるとか。