夏の日

2012.04.13 Friday

中学校2年生の夏休みも,終わりに近づいてきたその日。


久々に学習塾の夏期講習が休みということもあって,
私はうきうきしながら自転車のサドルに跨りました。

お休みはもうすぐ終わるとはいえ,蝉はまだ元気にジィジィと鳴いていて,
庭に凛と立つ百日紅の白い花が,澄んだ青空によく似合っています。

私の家は坂のてっぺんにあるので,国道16号線沿いの道に出るまで
下り坂ばかり。
自転車でピューッと駆け下りると,頬に当たる涼しい風がなんとも爽快です。

そのことも手伝ってか,私は一層晴れやかな気分になりながら,
自転車を走らせていました。

私の向かう先は,大好きなデザイン教室。
小学生の時から通い続けているこの教室は,
くねくねとした不思議な外観からしていかにもアート,という佇まいで,
さらに扉を開けると,中の椅子やテーブルは見事に絵の具まみれ。

けれども,なぜだかそんな空間が妙に心地よくて,
まるで我が家に帰ってきたかのような,あたたかな匂いのする場所でした。


デザイン教室とはいっても,すごく自由で。
時には,近くの山で木の実を摘んでジャムにしたり,
山菜を採ってきて天ぷらにしたり。
クリスマスにはグループに分かれてケーキのデコレーション勝負,
お正月には卒業生も集まる食べ物持ち寄り会までありました。


そうして,今日は,そんなイベントのひとつ,
バーベキューパーティーが行われる日でした。

バーベキューを楽しみに,わざと昼食を食べずに出てきた私のおなかは,
もうぺこぺこ。 待ち遠しそうにぐうぐうと唸っています。


それに,楽しみなのはそれだけではありません。

今日は沙羅ちゃんが来るのです。


地元の小学校で,4年生の頃から仲良しの沙羅ちゃん。

彼女も以前は一緒にこの教室に通っていたのですが,
半年ほど前でしょうか,家庭の金銭的な事情で辞めてしまいました。

沙羅ちゃんがいた頃は,
教室の終わる時間になってもなかなか帰らずに,
二人でおしゃべりをしながら,絵や4コマ漫画を描いて,
一緒に自転車をこぎながら並んで帰って,
そんな時間が本当に楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。

けれども,もともと無口で人見知りだった私には,教室に沙羅ちゃん以外の友だちはおらず,彼女が辞めてしまってからは,心のどこかに穴が開いたような気持ちで,いつも早々と帰り支度をしていたのです。

自転車も,一人で走るとなんだか疲れてしまって,バスで通うようになりました。


それが先週,デザイン教室の先生にこう言われたのです。

「来週はバーベキューだから,沙羅ちゃんも連れておいで。
もちろん,お金はいらないからね」

私は喜び勇んで,すぐに沙羅ちゃんを誘いました。

今日は,昔みたいに,あの教室で沙羅ちゃんと遊べる。
そんな期待を胸に,私は力いっぱいペダルを踏み込みました。




教室に着いたのは,4時を少しまわった頃でした。

沙羅ちゃんはもう着いていて,
先生たちと共に屈託のない笑顔で迎えてくれます。

先生に手招きされ,私は沙羅ちゃんの許へと向かいました。


「飲み物はウーロン茶でいい?
あ,紙コップの裏に,名前書くんだって。」

面倒見の良い沙羅ちゃんのおかげで,私の前には,
あっという間に食事の準備が整ってしまいました。


お姉さんみたいだな。

私はそう想って,
長いポニーテールの揺れる背中に,そっと微笑んでみせました。


 *    *    *


想像していたとおり,バーベキューの時間は,とても楽しいものとなりました。

沙羅ちゃんと二人で話していると,
漫才みたいね,と,先生がおかしそうに笑います。

一緒に紙皿を持ってお肉と野菜を取りに行き,
嫌いなカボチャは,犬のダックにこっそりとあげてしまいました。

ダックスフントのダックは,もうお年寄りで,昔に比べると元気がありません。

吠えることもほとんど無くなり,まんまるの目はトロンとして。
つやつやだった長い毛も,どこかうなだれているように見えました。


沙羅ちゃんは大の犬好きで,
口元にうっすらとえくぼを浮かべながら,ダックの頭を撫でています。

私はそんな,優しい沙羅ちゃんの顔が好きでした。

長い間教室を訪れることは無かったものの,
ダックもまた,彼女を憶えているのか,
安心したように沙羅ちゃんの足許で丸くなっていました。

時間が,きらきら光って見えました。


…こんな時間が永遠に続くといいのに。


私はふうっと小さく息を吐きました。


学校ではどことなく疎外感を感じていて,
夏休みに入ると,毎日,ひとり,家と塾との往復で。

そんな日々が少し嫌になっていた私には,今日という日のこの時間が,
楽しくて仕方なく,幸せだったのです。

1分でも長く,こうしていられたら…。


私がそんなことを想っていると,
不意に,沙羅ちゃんは,ダックを撫でていた手を止めて,立ちあがりました。


「それじゃぁ,私は,もう帰るね」


 *    *    *


「…え?」


終わりの時間まで,まだあと30分以上あるのに…。

私はとっさに,声が出せませんでした。


昔,沙羅ちゃんがここに通っていた時のように,
終わった後も教室でおしゃべりをして… という長い時間を,
私は無意識に期待していたのでした。


「私は今から,都ちゃんたちと片吹のお祭りに行くから。
どうする?ねここも,もう帰る?」


一瞬,自分の笑顔が凍ったような気がしました。

都ちゃんといえば,学校での仲良しグループの内のひとりです。
みんなで片吹のお祭り…?


沙羅ちゃんは,何の含みもない,無垢な顔をしていました。

…どうして?


「どうして,私は,誘ってくれないの?」


そんな言葉が喉まで出かかったものの,
何も言えずに呑み込みました。

そうして,言葉の代わりに,首を横に振りました。


彼女はそれを,私がバーベキューに残ると受け取ったのか,
それじゃぁ,また,と言って,ひらっと手を振りました。


待って。


待って。
行かないで。


頭の中で,自分の心の声がぐわんぐわんと鳴り響きます。


待って。私は。
私は,もっと昔みたいに話がしたかったのに。


沙羅ちゃんと一緒にお家に帰りたくて,今日だけはとくべつ,
自転車にしたのに。


ちょっと待ってよ。


呆然と立ちつくしている私を尻目に,沙羅ちゃんは遠くなって行きます。


待って…。


気づくと私は後を追って,教室の外へ飛び出していました。


 *    *    *


「あれ,やっぱりねここも帰るの?」


自転車の鍵を探していたらしい沙羅ちゃんが顔を上げてこちらを見ましたが,
私は無言で自転車に飛び乗りました。


とにかく頭が真っ白で,
身体が動いていないと心がバラバラになってしまいそうで,
私は必死で自転車をこぎました。

強く,強く



デザイン教室は,称名寺というお寺のすぐそば,坂のてっぺんにあります。
だから帰りは下り坂ばかり。

けれど,家を出た時のような爽快感は微塵も感じられず,
ただただ,頬に当たる生温かい風が不快でした。



沙羅ちゃん,都ちゃん,しずくちゃん


学校で,
みんなが持ってるお揃いのシャーペン。色違いの髪留め。
どれも,私だけ持ってなかった…。

四人で歩いている時も,私が居ることなんて嘘みたいに,
三人だけで遊ぶ約束をしてた…。


以前から薄々感じていた疎外感が,一気に膨れ上がって,
私に襲いかかってきました。


私は塾で忙しそうだから,気を遣ってあまり誘わなかったって
前にしずくちゃんが言ってたけど,本当にそう


でも,だって,今日はちがうよね。


私,塾だってお休みだったもの。
私,目の前に居たんだもの…。


どうして…。


気がつくと私は,坂道を下り終え,国道沿いの道を走っていました。

排気ガスをまき散らす車たちが,ガードレール越しに横を通り過ぎて行きます。
辺りはすっかり暗くなって,そんな自然の暗闇を無理に照らす,電灯やコンビニの人工的な光が,チカチカして煩わしく思えます。


私の中では,やり場のない怒りが込み上げてきました。


どうして私,こんな思いをしなくちゃいけないの?


2年生にもなると塾へ通い始める人が大半なのに,
仲の良いグループで塾に行っているのは私だけで,
みんなは夏休みも集まって遊んでいて…。


どうして私だけ,仲間はずれなの?


どうしてみんなは,勉強もせず遊び呆けていられるの?

どうして?

どうして,真面目に勉強してる私だけが,こんな…。


私の頭は,私のことでいっぱいでした。


みんな,みんな,もっと苦しめばいいんだ。
今は楽しく遊んで,後で悲しんだらいい。
高校受験も落ちちゃえばいいんだ


残酷な気持ちが次々と,心の中に入り込んで来ます。

私は路地に入り,自転車を止めました。



どうしてあんなことをしたのでしょう。

私は夢中でメールを打ちました。



高校,落ちちゃえ…。



酷い言葉でした。

それから今までにないスピードで,
自分の感情を一方的に,メールにぶちまけました。



メールを打ち終わり,顔に手を当てると,火照っているのが分かりました。
心臓が,脈打つようにどくんどくんと鳴っています。

バーベキューの時には気にも留めなかった藪蚊の存在が,
急に気になり始めました。


私は,蚊を振り払うようにして自転車に跨り,何も考えずに家まで走りました。


 *    *    *


家に辿り着き,自分の部屋に飛び込むと,
身体中じっとりと汗をかいていました。


携帯に目を遣ります。 返信は無し。


ベッドに倒れ込み,しばらくボーッと天井を見つめていると,
妙に心が落ち着いてきました。


バーベキューの時の,沙羅ちゃんの姿が想い出されました。

優しくて頼もしい,背中の残像が揺れます。


ハッとしました。


冷水でも浴びせられたように首筋が冷たくなり,
言いようのない後悔が襲ってきました。

投げ出していた携帯をひっつかみ,また夢中でメールを打ちました。


ごめんね,と


謝っても許されないことをしたのは,分かっていました。
けれども,謝る以外に方法が思いつかなかったのです。


 *    *    *


私はそのまま眠り込んでしまい,
翌日は足をひきずるようにして塾へ行きました。

重い気持ちは尚も続いていて,授業はさっぱり耳に入らず,
右から左へ流れて行きました。


夏期講習は昼のクラスなので,授業が終わってもまだ4時頃です。

いつもはそのまま家へ帰るのだけれど,どうしてもそんな気分になれず,
私は近くのファーストフード店で時間を潰すことにしました。

のろのろと塾の宿題を解きながらフライドポテトを食べていると,
突然,携帯が鳴りました。


沙羅ちゃんからのメールでした。


おそるおそる,メールを読むと,そこにはこう書いてありました。

悪かったのは,ねここの気持ちを考えられなかった自分だ,
ごめんね,と


違うのに。

また後悔が,波のように押し寄せてきました。
悪いのは勝手に腹を立てて,酷いメールを送った自分なのに…。


沙羅ちゃんの優しさに胸を打たれると共に,私は,
二度と沙羅ちゃんが心を開いてくれないだろうという予感がして,
どうしようもない虚しさをも感じていました。

それは何の根拠もないことだったけれども,当たっているような気がしました。


そして,予感は的中しました。


夏休みが終わり,学校が始まっても,
沙羅ちゃんが私に話しかけてくれることはありませんでした。

私が話しかけても,見せる笑顔が,どこかぎこちなくて…。

沙羅ちゃん。


できることなら,過去に戻ってあのメールを取り消したい。
言ってしまった言葉は消えないと分かっているのに,
そんな,仕方のないことばかり考えていました。

きっとあのメールを打っていた時の私は,ゾッとするほど嫌な顔をしていたのだろうと,今考えても背筋が寒くなります。


 *    *    *


傷つけた友だちのこと。

今でもふうっと,頭に浮かびます。
どうしているのかな…。


今は,ひとり。

友だちなんて作る資格の無い私は,ひとりで生きているけれど,
そのほうが良いのかもしれません。


ベッドの上で目を閉じて,外の声に耳を澄ませると,
びっくりするほど穏やかな気持ちになれます。

誰かの,階段をのぼる足音。
子どもの笑い声。
コチ,コチ,回り続ける時計の針の音…。


安らかな心地。

何でも許すことができそうな,このまま死んでしまっても良いような,
安らかな心地


もう二度と,あんな醜い自分にはなりたくない。


何をされても,許すんだ。 嫌なものも,受け容れるんだ。
誰かの気持ち,心の底から共感するんだ。

優しくなりたいよ…


勉強してる自分が偉いなんて,とんだ勘違い。
傍から見たら真面目だって,陰で人のこと傷つけてたら,意味がない。

そう想いました。


バカでもいい。
社会の底辺でも,損してもいいから,


きれいな,

心のきれいな人になりたくて。

Comment

  1. とーこ より:

    ねここさん,お久しぶりです。
    コメント返信ありがとうございました。
    小学生の時書かされた「よく遊ぶ友達」の欄。
    私が名前を記した女の子。
    彼女のところに私の名前はありませんでした…
    一緒に遊んだ他の子の名前は書いてあったのに…
    すごく,ショックでした。
    今は私も少し成長して誰かに親切にできるようになりました*
    荒んでいた頃よりずっと気分がいいです^^
    「ねここさんって優しい人だなあ」ってブログを通して伝わってきます。
    でも,無理しすぎないでくださいね!
    またまた長文で失礼しました。

  2. より:

    んーとね
    頭から否定したり気持ちを汲もうともしないのは確かに愚者の行いだけどさ
    嫌なことでも自分殺して受け入れる、ってのは本当に「優しさ」なのかな?
    もしも「嫌われたくないから」そうするのであれば、それは違うと思うなー
    大事なのは相手のためになるか否か、だと思う。
    相手のためにならなければ間違いはきちんと正してあげるのも「優しさ」じゃないかな(´・ω・`)
    僕はいつまでもみにゃの友達であり兄でいるよ。

  3. ねここ より:

    とーこさん>
    こんにちは(*´ω`*)
    こちらこそ,また見に来て下さってありがとうございます♪
    まだ年端もいかない子どもの頃って,
    学校や友だちが自分の世界のほとんどを占めているから,
    そういう小さなことでもすごくショックですよね。。
    そのことで酷く落ち込んだり,怒ったり,絶望的な気分になったり。
    だけどそういう時期を振り返って,
    今の自分は少し成長した,もっと人に優しくできるようになった,
    って思えると,気分が良いですよね*^^*
    あわわ,優しい人になりたいなあとは思っているけれど,
    実際のところはどうだか…!><
    だけどそういう風に言ってもらえると,とっても嬉しいです。

    ともちゃん>
    うーん… ちょっと書き方が悪かったかも(>_<*)
    嫌われたくないから自分を殺して受け入れるようにするっていうのとは少し違って,人を恨んだり憎んだりしても何も生み出さないし,怒ると自分もダメージを受けるから,人の罪を赦して受け入れられる人になりたいの。
    誰だって間違えるのは当たり前だから,私はその時に間違いを指摘して”正す”人よりも,間違えてしまったけど大丈夫だからねって,やわらかく受け止めるクッションみたいな人になりたいな。
    何が本当に相手のためになるか,何が正しくて何が間違っているかを,一個人である私が決めることってとても難しいし,人にとやかく言える程,私自身が出来た人間でもないしね*>_<*

  4. より:

    俺はね、良いとか悪いってのも、やめた。
    ただ、相手の側になって、痛いか、どうか。
    そして、その痛みは何かを生むかどうか。
    傷つきやすい心は、痛みを人一倍理解できる心。
    申し訳ないことをした、と思い、
    二度と、こんな惨めな気持ちになりたくないなら、
    二度と同じ過ちを繰り返さないこと。
    王様でないことを悔やむ人は、
    王様になる力量を持ち得る人。
    君が悔しいと思うことは、
    それを克服しうるだけの力を秘めている証拠。
    辛いけど、凄く苦しいこともあるけど、
    それを開花させていこうね。

  5. ねここ より:

    鴉さん>
    鴉さんの言葉は,
    毎回説得力があるなぁと思いながら読んでます。
    私が悔しかったことや,傷ついたこと,繰り返したくないこと,
    糧にして,自分なりの,自分らしい良さを花開かせていけたらいいなぁ。

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